2019.02.19更新

 ずいぶん昔のことになるが,その日当番弁護の担当日だった私は,弁護士会刑事弁護センターからの出動要請を受けて横浜地方検察庁横須賀支部へ赴き,弁解録取書を作成し終えたばかりの被疑者と接見した。

 

 弁護士との接見を要請した理由は,別に私選弁護人に就任してほしいというものではなく,友人へ電話をかけてほしいというものと今後の見通しを教えてほしいというものであった。横須賀における当番弁護接見はこのパターンがとても多いが,身体拘束直後の被疑者にとっては外部との連絡を取りたいと思うのが当然であるし,そのように弁護士を使ってもらうことは全然構わない。

 

 あまり詳細を覚えているわけではないが,私は知人への連絡を約束し,また聴き取った事実に基づいて今後の見通しについて説明を行った。最初はふんふん聞いていた被疑者だったが,問題はここからだった。彼(彼女かもしれない)は私に向かってこう尋ねた。

 

 

 「弁護士さんとしての説明はわかったんですけど,そうじゃなくて個人的にはどう思いますか。」

 

 

 この質問は,あまりにも予想していなかったので,全然意味が分からなかった。彼(彼女かもしれない)は,私に対して,弁護士としての意見を聴きたいのではなくて個人としての意見を聴きたいのだという。そこで私は答えた。「私を構成する要素から弁護士としての要素を取り去ったら,私個人は法律のことには詳しくないので全然わかりません。あと,私はあなたの友人ではないので,個人的なアドバイスをする立場にはありません。」

 

 いやぁ,そのときの彼(彼女かもしれない)の反応の困った表情にはこちらも困らされた。彼(彼女かもしれない)は必死だった。「いや,弁護士さんって色々立場とかあるから言えないこともあるかもしれないじゃないですか。そうじゃなくて,先生個人としてはどう思うのかっていうのを知りたいんですけど。」

 

 私はさらに困惑した。「先生」と「個人」がすでに矛盾しているし,要するに何を聞きたいのか全然わからなかったのだが,何度かやり取りしているうちに何となく見えてきた。つまりは「そういう建前じゃなくて本音を聞きたいんすよ。」ということなのではないか,と。

 

 これは困った。目の前にいる人は,「人には本音と建前というものがあって,日頃は建前を言って生きているけれど,本当に大事なのは本音であって,自分は今まさにその本音を聞きたい。」と言っているようだった。そして,そのような考え方は私の中には一切ない考え方だった。

 

 「本音を話す」という標語は,一見するととてもいいことを言っているようであるが,それには「本音を話すことはいいことだ。」という価値判断が前提になければ理解できない。しかし,本当にそうだろうか。ただ,自分にとって都合のいい話を「本音」と呼び,都合の悪い話を「建前」と呼び分けているだけではないだろうか。そうであれば,「本音」と「建前」という区分に意味はない。

 

 または,歯切れのいい言葉を「本音」といい,歯切れの悪い言葉を「建前」と呼んでいるのであれば,現状認識に対する甘えがあるように思う。物事は全部が全部きれいに割り切れるわけではないのだから,歯切れがいいことが良いことでもなく,はたまた歯切れの悪いことが悪いことでもない。

 

 弁護士をしていると持って回ったような煮え切らない態度をとらざるを得ないことがあるが,それはやむを得ずやっているのであって,あえて「本音」を隠そうとしてやっているのではない。例えば,事件の見立てについて「一般的には大丈夫だと思いますけど,相手のあることなのでやってみないとわかりません。」と答えざるを得ないことがあるが,回答について責任を持とうとするとどうしてもこれくらい曖昧な表現になってしまう。逆に,「私に任せておけば大丈夫。必ず勝てますよ。」と答えることは嘘になる(弁護士としての品位も害する。)。

 

 また,私自身の性格として,「正直村の住人」と呼ばれるほど嘘が嫌いなので,少しでも断定できないことがあると考えないと答えられなかったり,答えたとしてもまわりっくどい内容になったりする。江戸っ子からは嫌われるが,別にお江戸に暮らしているわけではないので構わない。

 

 

 まぁ,結局何を言いたかったのかというと,人と話すときは自分に都合のいい話だけ聞こうとしないことと,弁護士と話すときは多少の曖昧さを含んだ内容にならざるを得ませんよということですね。いえーい,予防線がっちり張っといたから,今後の相談はスムーズに進むぞー。

投稿者: アダジオ法律事務所

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